16. 02.06

自分の作風について「良い意味でダサいところがいい」と言われることがある。そう言われると私はとても嬉しい。
自分らしさについて、自分の作風について大学始めの頃とても悩んだ。なんで自分は微妙なんだろう、と。学校の課題で、お洒落だし格好良い絵が描けたはずなのになんだかおかしい。ぱっとしない。頑張ってるのになんでか自分の絵は光らないのか、さっぱり分からなかった。ほんとダメダメだった。
そんな時、「あ、私ってださいんだ」と、思った。というより気付いた。
知的で格好良いものを作ろうとしても、元々ハイソなセンスが備わっていないので、頑張ってもチグハグな結果に終わったり、誰かの真似っこに終わるだけだった。自分のフィルターを通すと格好良いものも全てにごり、自分色に科学変化されて出てくる。最初それに気付いた時はなんて私はダサいフィルターしか持ち備えてないんだろう、なんてクソフィルターだ、と自分のセンスが悪いものと決めつけた。
だけれど、そんなことは無くて、自分のフィルターが濃いということは個性ではないか、このあか抜けなさは私のカラーじゃないか、と考えた。
そこからフラットに、格好付けることをやめて絵を描くことを意識するようになった。勇気を出して自分がダサい現実を受け止めた。そしたらとてもすらすらと楽しく制作出来る様になった。
この話しは自分の作品に限らず人間としての私自身の話しでもある。作品はきちんと作者を表している。
時たま、自分はなんてださいんだ、格好悪いんだ、なんでキラキラ輝けないんだ、としょぼしょぼ悩むことがあるけれどそんなのしかたがない。早川義夫の歌聞いて寝ちゃえば次の日にはもう大丈夫。無理しないでありのままの自分を表現していける事はとても幸せなことなんじゃないか、と最近考える。
勿論 ださい、といってもハイソサエティにはなれない、という意味のだささで、今では自分のセンスを信用しているし、自分の絵を描く、自分を表現する、ということで下手に格好付けない、という話しである。無理に飾ること無く私は私のセンスで格好良いものをつくりたいな、と思う。​​​​​​​
Back to Top